知多半島偉人図鑑
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東海市、山形県米沢市平島村(現 東海市荒尾町) 1728年~1801年えどじだい江戸時代のじゅがくしゃ儒学者で、じっせん実践をおも重んじたおし教えは、せいじ政治やきょういく教育におお大きなえいきょう影響をあた与えました。とく特に、めいくん名君とたたえられたよねざわはんしゅ米沢藩主のうえすぎようざん上杉鷹山(はるのり治憲) こう公のせんせい先生として、また、おわりはんこうめいりんどう尾張藩校明倫堂のしょだいこうちょう初代校長としてもゆうめい有名です。とうかいし東海市には、そのこうせき功績をつた伝えるしせつ施設やきねんひ記念碑などがあります。東海市儒学者生まれたところゆかりのある市町儒えどじだい江戸時代のめいくん名君のせんせい先生細井 平洲知多郡阿久比町福住村(現 知多郡阿久比町大字福住) 1752年~1824年こみみょうらくじ古見妙楽寺のりょうざんしょうにん亮山上人とであ出会い、ちたしこくれいじょう知多四国霊場をひらこうとた田やはたけ畑をう売ってしきん資金をつくりました。そのご後、しこく四国のたけだやすべえ武田安兵衛もくわ加わり、さんにん三人でてらでら寺々へれいじょう霊場になってくれるようおねが願いにいきます。ぶんせい文政7ねん年(1824)、八十八かしょ所のおてら寺をき決め、こうぼうだいしぞう弘法大師像のかいげんくよう開眼供養をしました。阿久比町修行者生まれたところゆかりのある市町ちたしこくはちじゅうはち知多四国八十八かしょ所をひらいた岡戸 半蔵緒川城(現 知多郡東浦町大字緒川)1528年~1602年せんごくじだい戦国時代、ひがしうらちょう東浦町にあったみずのし水野氏のおがわじょう緒川城にたんじょう誕生。14さい歳でおかざきじょうしゅまつだいらひろただ岡崎城主松平広忠とけっこん結婚し、とくがわいえやす徳川家康をう産みます。しかし、みずのし水野氏がおだがた織田方についたため、3さい歳のいえやす家康をのこ残してりえん離縁されました。そのご後、あぐい阿久比の坂部城主久松俊勝とさいこん再婚し、いえやす家康のてんかとういつ天下統一をささ支えました。東浦町徳川家康の母生まれたところゆかりのある市町えどばくふ江戸幕府をひらいたしょうぐんいえやす将軍家康のはは母於大の方ほそいへいしゅうおときちおかどおだいはんぞう知多郡美浜町小野浦村(現 知多郡美浜町大字小野浦) 1817年頃~1867年せんごくぶね千石船のふなの船乗りであらし嵐にあ遭いたいへいよう太平洋を14かげつ月漂流後、日ほんじん本人ではじ初めてべいこく米国、えいこく英国へじょうりく上陸、マカオでせかいはつ世界初のせいしょ聖書和訳にきょうりょく協力しました。にほんじんひょうりゅうみん日本人漂流民のきこくえんじょ帰国援助のほか他、日えいわしんじょうやく英和親条約のつうやく通訳としてじんりょく尽力し、しゃんはい上海、シンガポールでぼうえきしょう貿易商としてかつやく活躍、にほん日本のかいこく開国にもかか関わったとされます。美浜町船乗り生まれたところゆかりのある市町にほん日本でさいしょ最初のしん真のこくさいじん国際人音吉2かた知多郡東浦町、刈谷市、岡崎市、知多郡阿久比町、新城市 はちじゅうはちさかべじょうしゅひさまつとしかつにちわやくにひょうりゅうご

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