知多半島偉人図鑑
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知多郡武豊町知多郡武豊町1893年~1974年なごや名古屋できょうし教師となり、そろばんをひろ広めようとどりょく努力します。はやくからよ四つだま玉そろばんのべんり便利さにちゅうもく注目し、もんぶしょう文部省(いま今のもんぶかがくしょう文部科学省)にいつ五つだま玉そろばんからよ四つだま玉そろばんへへんこう変更するようていあん提案しました。そのご後、けんかいぎいん県会議員をつとめ、たけとよちょう武豊町ではがっぺいご合併後の2だいめちょうちょう代目町長としてかつやく活躍しました。武豊町教育者生まれたところゆかりのある市町よ四つだま玉そろばんをひろ広めたちょうちょう町長榊原 孫太郎知多市知多町(現 知多市八幡)1900年~1997年だいかん大干ばつにくる苦しんでいたちたちいき知多地域にようすい用水をけんせつ建設しようと、きょうりょく協力をもと求めてかくち各地をまわ回りました。「あいちようすいかいはつきせいかい愛知用水開発期成会」をつくり、しきんあつ資金集めのためにじぶん自分のた田やはたけ畑をう売ったとされます。3まん万ヘクタールののうち農地にみず水をおく送り、じょうすい上水・こうぎょうようすい工業用水をまかなうあいちようすい愛知用水のけんせつ建設のきっかけをつくりました。知多市農家生まれたところゆかりのある市町あいちようすい愛知用水をつくるためこうけん貢献久野 庄太郎半田市・知多郡武豊町・兵庫県尼崎市知多郡武豊町1896年~1992年こうべだいがく神戸大学などでせんせい先生をしながら、きょういく教育にかん関するほん本をか書いたり、ぜんこく全国でこうえん講演をしたりと、こくみんきょういく国民教育がおこな行われひろ広まるようにちから力をつくしました。ていあん提案した「りつようきょういく立腰教育」は、じぶん自分でかんが考えこうどう行動できるにんげん人間をそだ育てるきょういく教育のおてほん手本とされ、「こくみんきょういくしゃ国民教育者のしふ師父」とそんけい尊敬されています。半田市教育哲学者生まれたところゆかりのある市町こくみんきょういく国民教育にちから力をつくした森 信三ひさまつせんいちくのしょうたろうさかきばらまごたろうもりのぶぞう藤江村(現 知多郡東浦町大字藤江)1894年~1976年とうきょうていこくだいがく東京帝国大学(いま今のとうきょうだいがく東京大学)のきょうじゅ教授をしたり、とうじ当時のこうたいし皇太子(いま今のてんのうへいか天皇陛下)にこくご国語をおし教えたりしました。ヨーロッパやアメリカへもこくぶんがく国文学のけんきゅういん研究員としてい行き、まんようしゅう万葉集のけんきゅう研究、こくごじてん国語辞典のへんしゅう編集をしたほか、ひがしうらちょう東浦町やぜんこく全国のこうか校歌のさくし作詞などもしています。生まれたところゆかりのある市町東浦町国文学者てんのうへいか天皇陛下のこくご国語のせんせい先生でこくぶんがくしゃ国文学者久松 潜一5知多郡東浦町、東京都立川市、東京都葛飾区、名古屋市、半田市知農国

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