知多半島偉人図鑑
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知多郡南知多町宮城県仙台市1925年~にほん日本をだいひょう代表するてつがくしゃ哲学者。うめはらにほんがく梅原日本学をかいたく開拓し、スーパーかぶき歌舞伎のそうさく創作など、はばひろ幅広くかつどう活動しています。こくさいにほんぶん国際日本文化研究センターのそうせつ創設にちから力をつくし、しょだいしょちょう初代所長になりました。きょうとしりつげいじゅつだいがくがくちょう京都市立芸術大学学長、ものつくりだいがく大学のしょだい初代総長をつとめ、にほん日本ペンクラブかいちょう会長にもしゅうにん就任しました。南知多町哲学者生まれたところゆかりのある市町どくじ独自のはっそう発想からにほんぶんか日本文化をけんきゅう研究梅原 猛知多郡阿久比町阿久比村(現 知多郡阿久比町大字植大) 知多郡半田町(現 半田市)1908年~1982年しょうわ昭和3ねん年にかぎょう家業をつ継ぎますが、ふきょう不況としゃかい社会がふあんてい不安定になるなか中でとうさん倒産のきき危機にたたされます。しかし、ぎんこう銀行からおかね金をか借りてゆしゅつむ輸出向けのしょっき織機へとき切りか替え、つづきぼうせき都築紡績をきずきました。また、つづきいくえいかい都築育英会をつくり、こくりつだいがく国立大学へのしん進学をめざすがくせい学生をしょうがくきん奨学金でおうえん応援しました。阿久比町実業家生まれたところゆかりのある市町阿久比村(現 知多郡阿久比町大阿久実業れたところきょだい巨大なぼうせきがいしゃ紡績会社をきずいた都築 良平1913年~1943年ちゅうがくせい中学生のころからそうさくかつどう創作活動をはじめ、18さい歳で「ごんぎつね」をはっぴょう発表します。びょうき病気にくる苦しみ29さい歳でな亡くなりますが、たくさんのどうわ童話、しょうせつ小説、どうよう童謡をつくりました。ふるさとはんだ半田をぶたい舞台にこころ心のかよ通いあ合いやうつく美しいい生きかた方などをえが描いたさくひん作品は、にほんじゅう日本中のひと人にした親しまれています。半田市児童文学者生まれたところゆかりのある市町「ごんぎつね」のさくしゃ作者新美 南吉にいみなんきちさかきばらさだゆきつづきりょうへいうめはらたけし知多郡美浜町神奈川県横須賀市 1943年~なごやだいがくだいがくいん名古屋大学大学院をで出たあと後、とう東レでたんそせんい炭素繊維をかいはつ開発し、ぎじゅつ技術のしんてん進展とけいざい経済のはってん発展にちから力をつくしました。そのこうけん貢献はにほん日本だけでなく、せかい世界でもみと認められています。とう東レのしゃちょう社長・かいちょう会長をつとめ、へいせい平成26ねん年にはだい第13だい代にほんけいざいだんたいれんごうかいかいちょう日本経済団体連合会会長にしゅうにん就任しました。美浜町実業家生まれたところゆかりのある市町だい第13代にほんけいだんれんかいちょう日本経団連会長榊原 定征6半田市、知多郡美浜町、安城市、東京都中野区半児文文がくそうちょうかけんきゅうだい美実

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